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種をまく

最終更新: 8月17日


(3年前のある日の稽古風景。稽古?稽古!)



先日、近くに住む友人と最近のことなど

話す機会があり


思いがけない質問をされて答えていると

自分は今、こんな風に考えているのか、とか

こんな風に物事を捉えているのか、とか

いろいろ自分自身の発見があり

少し恥ずかしくもあり、おもしろくもあり



その時にも出てきた「子どもたちと関わること」について・・・


簡単に言ってしまえば、

“縁があるから”なのだけど、様々な形で子どもたちと関わり続けているのは

今、出会って関わっている子どもたちの存在ももちろん大きいけど

ほんの一瞬の出会いの中でなにか私の中に投げかけてきた子どもたちの存在だったり

様々な事情でどうしても関われなくなってしまった子どもたちの存在だったり

そんな今、関わることができない子どもたちの存在もとても大きい


今まで出会った沢山の子どもたちの存在が力をくれたり、背中を押してくれたり

することがたくさんあるな、と思う



そんな子どもたちとのこともそのうち書くかもしれないけれど

子どもたちと関わることが多くなってから、存在が大きくなった人がいる


小学校5、6年の時の担任の先生


普通の地域の公立小学校だったのだけれど、

その先生自身が本当に子どもたちとやりたい授業

をやってくれていたのではないかと思う


時間割は形式的に一応決められてはいたけれど

時間割通りに授業をやったことなんてあったかな・・・

そういえば教科書もあまり開いた記憶がないな・・・

裏山みたいなところにけもの道を見に行ったりしたけど

あれはなんの授業だったっけ・・・?

突然、トロ箱から魚を取り出した時があったけど

あれはなんの授業だったっけ・・・?国語だったかな?(時間割上は)

とりあえず、タヌキに関する授業(?)がたくさんあったな・・・


クラスには場が場なら“問題児”となってしまいそうな子も何人かいたけど

(そして、実際、中学へ行ったら問題児扱いだったらしいけれど)

でもその子たちもその先生のことは大好きで、懐いていて、

だから、悪ふざけはあっても、いき過ぎるようなことはほとんどなかった

そりゃあ、好きだったら、嫌われたくないよね・・・



でも、

子どもたちはみんなその先生のことが大好きだったけれど

職員室では理解を示してくれる先生は僅かだったらしいし、

(ある程度大きくなってから知った)

保護者の中でも賛否両論あったよ、と後々、母から聞いた

(母はおもしろがっていた方だけど)



私は先生や学校には比較的恵まれた方だと思うけれど

その中でも、「小学校5、6年」というとても貴重な時期に

この先生に巡り合えたことは人生においても

実はかなり大きなことなのではないか、と今になってすごく思う

子どもたちと関わるようになって、すごくすごく思う



例えば・・・

私がダンスクラスやダンスワークショップといいながら、

年に数回はこんな風に子どもたちとお散歩したり、

ダンスなんだかよくわからない謎の時間をもったり、

そういうことを堂々と信じて出来るのも

その先生からのギフトなのではないか?

(種まきをしてくれていたのだなあ)


実際、そういうなんだかよくわからない時間の中にこそ、

子どもたち一人一人の魅力的な部分が

構えずに自然に出てきたりするし、

子どもたちの作品のたねが埋もれていたりもするから・・・


なんだかよくわからない、無駄なような時間って

実はとても大切なのかもしれない、と思ったりします



それにしても、私は個人でやっている小さな場で

おもしろがって集まって来てくれる人たちと一緒に、

だから、こうしてやれているけれど

先生は公立小学校という組織の中で

よく貫いてやってくれたなあ・・・と

本当に今、感謝しています

(ベテランの先生だったからまだ出来たのかもしれないけれど

若手の先生だったら志はあっても心折れてしまう人もいるのではないだろうか)





今は状況的になかなかそんな時間をとるのも難しいけれど

また思い切り堂々と子どもたちと

なんだかよくわからない時間をもてるようになりますように!


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